土岐高山城・下街道高山宿へようこそ!
「土岐高山城下街道高山宿」は岐阜県土岐市に広がる豊かな歴史と文化が残る歴史地区です。
私たちはこの歴史と文化を風化させないように検証と保存に取り組み次世代へ継承するために活動しています。
このサイトは、「高山城高山宿史跡保存会」が情報発信をするために運営しています。
新着情報
2024年
2月
20日
火
令和6年 土岐高山城まつり
土岐高山城跡では200本のしだれ梅、350本の花桃など多くの花木が植樹され、春になると桜の古木とともに見ごろを迎えます。
予想開花時期(昨年の状況)気温の推移により早くなったり遅くなったりします。
しだれ梅 3月中旬 (今年は2月下旬から咲き始めました)
桜 3月下旬
花桃 4月上旬
3月30日(土)・31日(日)には下記のイベントを行います。
皆さんお楽しみ下さい。
30日・31日 土岐高山城戦国武将隊(演舞) 13時30分~ 14時30分~
30日・31日 野点(抹茶) 11時~15時 (お菓子がなくなり次第終了)
30日 田中やすし さん (ギター演奏と唄) 14時00分~
31日 リカンターレ さん (親子合唱団) 14時00分~
3月30日(土)~約一週間 18時~21時(雨天中止)
桜のライトアップを行います。
※1 駐車場は限りがありますのでお乗り合わせの上ご来場ください。
※2 感染症対策にご協力ください。
美濃源氏の時代、戦国時代に君臨した土岐高山城
馬継場、宿場町として栄えた、下街道高山宿
ここ岐阜県土岐市は、”土岐源氏”の発祥の地。
戦国時代には武田信玄、勝頼親子と織田信長の天下取りの合戦場となりました。
江戸時代から明治にかけて、下街道は中山道恵那槙ヶ根追分から名古屋城下を結ぶ庶民の街道として多くの旅人や荷物が行きかい、その中間地点である高山宿は宿場町として栄えました。
2016年春、県内3番目のモデル森が完成。
~概要~
岐阜県では、平成24年3月に策定した「第二期 岐阜県森林づくり基本計画」に基づき、特に人の暮らしが森林から離れ荒廃が進む里山林において、生物多様性の保全など環境への配慮と森林資源の活用による新たな里山再生手法のモデルを確立するために、県内で5か所の環境保全モデル林を整備する計画です。土岐高山城跡の森はその3番目のモデル林として採択されました。
「丸茂むね物語」日本で7番目に医師になった女性
日本医科大学 総合情報紙「意気健康」に歴史小説が掲載されました
「丸茂むね」は高山宿庄屋深萱家の出身で旧姓「深萱むね」と言います
深萱むねは末代の深萱惣助の養子英次(東深萱家と縁組)の子で明治2年岐阜県土岐市の高山宿で誕生しました。明治20年、済生学舎(現日本医科大)に入学、日本で7番目の女医となりました。
済生学舎講師であった外科医、丸茂文良(1862~1906)に嫁ぎ、丸茂と共にアルミニューム線を極に封入した真空管を作り真空放電の実験を開始しX線の発生に成功しました。丸茂夫妻は医学者として世界で初めてレントゲン撮影に成功し、X線を細菌に照射して殺菌作用を確認する実験を行ったほか、いち早くがん治療への有効性を予見し医学利用の先駆けとなりました。
丸茂文良は北巨摩郡多麻村(現北杜市須玉町小倉)で、医師の長男として生まれました。県立医学校などで学んだ後、東京帝大医科大学予備門を卒業し、済生学舎(現日本医科大)の講師に就きました。当時済生学舎で学んでいた野口英世を指導したと言われています。明治二十九年には済生学舎でレントゲンの応用について日本で初めての講演を行いました。ドイツのレントゲンがX線を発見してからわずか半年後のことでした。
このほど日本医科大学総合情報紙に歴史小説「丸茂むね物語」が掲載されました。日本医科大学のご好意でリンクを貼らせていただきました。郷土が生んだ偉人の足跡に是非触れてみて下さい。
月刊らせる1月号で高山城、高山宿が紹介されました
地域情報紙「月刊らせる1月号」(発行(株)中広)の巻頭見開き2ページに「高山城の築城から宿場の発展まで 下街道高山宿界隈の歴史をたどる」という記事が掲載されました。2014年のスタートにふさわしい話題となっています。
土岐市初となる ”高山ブランド地酒” がついに誕生!!
かねてより土岐市高山の特産品として企画を進めておりましたオリジナル地酒が完成しました!
これは地元の皆さんはもちろん、土岐高山城、下街道高山宿を訪れていただいた方々にも地元のお酒を楽しんでいただこうと計画したもので、土岐市内唯一の酒造メーカー千古乃岩酒造さんのご協力で製品化したものです。
「土岐高山城」のラベルは日本芸術院会員の神戸峰男先生の画と書、「下街道高山宿」は真野徳子先生の画、神戸峰男先生の書を元に作成しました。
お二人の先生方は「まちづくりのためなら」と快く製作の協力をいただきました。